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定松の試み

05 「貨客混載」高速バスで運ばれた朝どれ野菜を販売
~飛騨高山の新鮮野菜が、収穫30時間以内に店頭へ~

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インターネット通販の普及などを背景に物流業界では人手不足が深刻化しており、高速バスや鉄道などで貨物と旅客を一緒に運ぶ「貨客混載」が注目を集めています。京王電鉄株式会社(本社:東京都多摩市、社長:紅村 康)と岐阜県高山市(市長:國島 芳明)は、2017年9月から高速バスを活用した貨客混載による販路拡大事業に取り組んでおり、新たな販路として、2018年5月18日(金)から京王百貨店新宿店「定松」での販売を開始しました。京王電鉄はグループの高速バスの空きスペース(トランク)の活用で収益増につなげ、岐阜県高山市は地元農産物の販路を拡大し、地元の活性化を図るのがねらい。定松は新宿の高速バスセンターから店舗への搬入と販売を担っています。

北アルプスに囲まれた高山市内で朝に収穫したトマトやホウレンソウ、特産の山菜類などが、高速バスの保冷コンテナに積み込まれ、最速30時間以内に店頭へ。都内ではなじみの薄い野菜も多く、抜群の鮮度で人気の商品となっています。


04 健康志向のマーケットに向けた戦略展開

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健康志向が高まる昨今において、お取引先からもお声がけをいただくことが多くなりました。現在、開発をタイアップしている「コールドプレスジュース」など、まさしく時代の背景に沿った商品です。「コールドプレスジュース」は、スロージューサーと呼ばれる低速回転のジューサーで材料に熱を加えず(コールド)、強い圧力をかけてすりつぶして(プレス)搾ったジュースのこと。旬の食材のおいしさをダイレクトに楽しめ、豊富な栄養価をロスせず手軽に摂取できる“おいしい栄養機能性商品”として人気に火がつきはじめています。

このような健康志向に対するマーケット需要はこれからも拡大が見込まれていくと考えられます。そこで、定松内部でも健康志向のマーケットに向けて、企画営業・開発営業部門を立ち上げました。健康や美容は、食と密接なかかわりがあります。介護施設、病院などでも味にこだわる施設が増えてきています。このようなマーケットに対して「食の楽しみ」を積極的に展開していきたいと考えています。


03 宮崎県青果物販路開拓エージェント

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2015年に定松の代表取締役社長 牧 泰利が、宮崎県庁より「宮崎県青果物販販路開拓エージェント」として活動して欲しいとの依頼を受けました。
宮崎県では、生産者の高齢化が進み、後継者不足も深刻で、県内市場の取扱量も縮小の一途をたどっています。産地の再生を図り、県内市場を活性化するためには、新しい青果物取引を創出することが急務であり、また多様なマーケットニーズにタイムリーに対応することが不可欠です。

青果物販路開拓エージェントの役割は、大消費地のニーズを収集し、そのニーズを産地に結びつけ(実需者と市場のマッチング)、ニーズに直結した青果物(加工品等含む)をタイムリーに供給し、産地の再生を支援するというものです。また、それらの情報をもとに産地を指導し、新品目や産地加工等の新たな展開を目指しています。

日照時間に恵まれた「日本のひなた」宮崎県には、マンゴー「太陽のタマゴ」や完熟金柑「たまたま」など広く知られたもの以外にも魅力ある青果物がたくさんあります。その美味しさや生産者のこだわり、特別な栽培方法など、付加価値を正しく伝えることで新たな需要を創出し、宮崎県産全体の需要の拡大を図ります。


02 2008年北海道洞爺湖サミットでの食材提供

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2008年に開かれた北海道洞爺湖サミットの初日に、各国首脳ならびに配偶者の懇親を図る場として「総理夫妻主催 社交ディナー」が催されました。このディナー会の総料理長は、華麗な経歴を持つ高名なシェフです。その総料理長より直々のご指名をいただき、定松がディナー会の食材を提供させていただきました。

このことは光栄ではありましたが、難しい問題がいくつもありました。というのも通常、青果の納品は遠方のやりとりでは密接な関係がつくりにくいからです。青果の納品において鮮度や品質を確認してお届けすることは特に重要な点。また、納品物にアクシデントがあった場合はすぐに代えの品を納品するために物理的距離が近いということがキーになるのです。
ディナーで必要な何百人分もの食材を手配するルートを確保し、物流においてもリスクを軽減する方法をシミュレーションし、本番と同様の料理を提供するリハーサルディナーなどを重ねました。

定松グループの総力をあげて取り組み、無事に洞爺湖サミットの社交ディナーへの食材提供をやりとげることができました。


01 創業時より革新的な青果卸の挑戦

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戦前まではお客様が商品をお買い求めにお店に来るか、ごく近隣まで限定で自転車の配達がなされていたのが通常でした。定松では戦後まもなく三輪オートバイの軽トラック、次いで四輪自動車を導入。モータリゼーション文化へのシフトにいち早く目をつけました。
青果市場で初めて競りに立った女性は、定松先代 牧秀夫の実姉で、その様子は戦前の青果市場で働く人々を描いて芥川賞を受賞した芝木好子さんの著書『青果の市』の舞台・モデルともなりました。

昭和40年代になると、登場したばかりのコンピューターを早い段階で導入し、売り上げと仕入れの管理をデータ処理で行い、その日のうちに利益を管理するシステムを構築しました。この取り組みは当時としては先進的なことでした。

一般的な青果卸が挑戦しないことに次々と取り組んできた定松スピリットは、現在にも引き継がれています。

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